「息継ぎをしようと顔を上げた瞬間、体がズブズブと沈んでいく」
「必死に手足を動かしているのに、なぜかその場にとどまっている気がする」
「プールの底に足がつかないと不安で、リラックスして泳げない」
平泳ぎの練習中に、このような絶望的な感覚に襲われたことはないでしょうか。クロールはなんとか泳げるようになっても、平泳ぎ特有の「沈む」という現象に悩まされる方は非常に多いのです。ジムのプールサイドで様子を見ていると、力任せに水をかき、水面と格闘しているような泳ぎ方をしている方をよく見かけます。しかし、断言します。あなたが平泳ぎで沈んでしまうのは、筋力が足りないからでも、才能がないからでもありません。ただ単に、水の中での「重心の位置」と「抵抗の減らし方」を知らないだけなのです。
水泳は物理学です。理屈さえ分かってしまえば、無駄な力を使わずに、まるで木の葉が水面に浮かぶようにスイスイと泳げるようになります。この記事では、平泳ぎで体が沈む原因を徹底的に解明し、今日からすぐに実践できる具体的な修正法を、プロの視点から8000文字を超える圧倒的な情報量で解説します。「もう二度と沈まない」という自信を手に入れ、優雅なロングスイムを楽しむ未来へ一歩踏み出しましょう。
1. なぜあなたの平泳ぎは沈むのか?「浮力と重心」のメカニズムを完全理解する

まず最初に、残酷な事実をお伝えしなければなりません。それは、「人間の体は、構造上、下半身が沈むようにできている」ということです。多くの初心者が「自分だけが沈みやすい体質なのではないか」と悩みますが、それは誤解です。トップスイマーであっても、何も意識せずにただ水に浮こうとすれば、足の方から徐々に沈んでいきます。この根本的なメカニズムを理解することが、脱・沈没への第一歩となります。
人間の体は「シーソー」である:浮心と重心のズレ
水中で体がどう浮くかを決定づけるのは、「浮心(ふしん)」と「重心(じゅうしん)」という2つの支点です。浮心とは肺の中に空気が溜まっている胸の部分を指し、ここが浮力の中心となります。一方、重心は腰やお尻のあたりに位置します。この2つ場所が離れているため、水の中での人間の体は、胸を支点とした「シーソー」のような状態になります。胸(浮心)が浮こうとする一方で、重たい下半身(重心)は下がろうとする回転力が働くのです。
論理的に考えれば、このシーソーを水平に保つためには、前側(頭や胸)に重みをかけるか、後ろ側(下半身)を浮かせる工夫が必要になります。平泳ぎで沈んでしまう人の大半は、息継ぎのために頭を高く持ち上げることで、シーソーのバランスを自ら崩し、下半身を急激に沈ませてしまっているのです。
このメカニズムを理解するために、以下の比較表を見てみましょう。沈む人と浮く人の決定的な違いは、この「支点」の扱いにあります。
| 項目 | 沈む人の特徴(シーソー崩壊) | 浮く人の特徴(シーソー均衡) |
|---|---|---|
| 頭の位置 | 高く上げる(重心が後ろへ移動) | 低く保つ(重心を前へ移動) |
| 肺の空気 | 吐きすぎて浮力が減少 | 適度に残して浮き袋にする |
| 腰の位置 | 反り腰になり沈下 | フラットに保たれ水面近く |
| 意識 | 「顔を出したい」 | 「重心を前に乗せたい」 |
【ケーススタディ】頑張り屋のAさんが陥った「もがくほど沈む」パラドックス
実際に私が指導した生徒さんの中に、スポーツジムに入会したばかりの30代男性、Aさんという方がいました。Aさんは非常に真面目で体力にも自信があり、ランニングマシンでは誰よりも長く走れるような方でした。しかし、プールに入ると状況は一変しました。「とにかく体を浮かせなければ」という焦りから、手足を激しく動かして水をかき回していたのです。
Aさんの泳ぎを見ていると、必死になればなるほど、体は垂直に立ち上がり、最終的には溺れているかのような状態になっていました。休憩中にAさんに話を聞くと、「力を入れて水を抑え込まないと、すぐに沈んでしまうんです。もっと筋トレをしてパワーをつけるべきでしょうか?」と真剣な顔で相談されました。私は「逆です。Aさんは頑張りすぎています。水と戦うのをやめて、水に『乗る』ことを覚えましょう」と伝えました。
私はAさんに、一切の手足の動きを封印させ、ただ水面にうつ伏せで浮く「けのび」の姿勢だけを徹底的に修正してもらいました。特に「胸で水を押す」ような感覚で、体重を前方に預ける意識を持ってもらったのです。すると不思議なことに、あれほど沈んでいたAさんの下半身が、スッと水面に浮き上がってきました。「魔法みたいだ」とAさんは驚いていましたが、これは魔法ではなく物理学です。力を抜いて重心を前に移動させたことで、シーソーが釣り合ったのです。
抵抗と姿勢の悪循環を断ち切るアクションプラン
では、具体的にどうすればこのバランス感覚を養えるのでしょうか。明日からプールで試していただきたいのは、「スーパーマン・グライド」という意識です。
- ステップ1:壁を蹴ってけのびの姿勢をとります。
- ステップ2:スーパーマンが空を飛ぶときのように、指先から足先まで一直線に伸ばします。
- ステップ3:ここが重要です。自分の胸(肺)を、水の中へ「じわーっ」と押し付けるように体重をかけてみてください。
- ステップ4:胸を沈めると、その反動で下半身がフワッと浮いてくる感覚(シーソーの原理)を感じ取ってください。
専門的な観点から補足すると、この感覚は「重心移動(ウェイトシフト)」と呼ばれます。陸上では足で地面を蹴って重心を移動させますが、水中では「浮心」に対して「重心」をどう配置するかで姿勢が決まります。この「胸で乗る」感覚をつかまないまま手足を動かしても、沈んだ姿勢で推進力を浪費するだけになってしまいます。まずは泳ぐ前に、この浮く感覚を脳にインストールすることが最優先事項です。
2. 【原因①:息継ぎ】頭を上げすぎると体は沈む!視線とあごの鉄則
平泳ぎにおける最大の難関であり、最も「沈む」原因となりやすいのが息継ぎ(ブレス)の瞬間です。人間は本能的に呼吸ができないことに恐怖を感じるため、どうしても水面から顔を高く、長く出そうとしてしまいます。しかし、この「安全確保のための動作」こそが、皮肉にも体を沈ませる最大の要因となっているのです。
「空気を吸いたい」焦りが招く顔の上げすぎ問題
前章で解説したシーソーの原理を思い出してください。頭は人間の体の中でも非常に重いパーツで、体重の約10%(ボウリングの球程度)の重さがあります。この重い頭を水面から高く持ち上げれば持ち上げるほど、シーソーの反対側にある下半身は深く沈み込みます。さらに悪いことに、頭を上げると腰が反ってしまい、水の抵抗をまともに受ける「立ち泳ぎ」に近い姿勢になってしまいます。
多くの初心者は、息継ぎの際に「前」を見ようとします。進行方向を確認したい、あるいは水が入らないように顔を高く上げたいという心理が働くからです。しかし、あごが上がり、視線が前(あるいは斜め上)に向くと、頚椎の反射で背中は反り、腰は落ちます。これが「沈む息継ぎ」の正体です。
【ケーススタディ】天井を見ていたBさんが劇的に変わった「視線マジック」
「どうしても息継ぎの後にお尻が落ちてしまい、次のキックが重たいんです」。そう悩んでいたのは、独学で平泳ぎを練習していた50代女性のBさんです。彼女の泳ぎを水中から観察すると、原因は一目瞭然でした。息継ぎの瞬間、彼女の目はプールの天井近くを見ていたのです。あごが完全に上がり、首の後ろが縮こまった状態でした。
私はBさんに、「息継ぎの時、水面ギリギリにある『架空のボール』をあごで挟むようなイメージを持ってみてください」とアドバイスしました。そしてもう一つ、「目は決して天井を見ず、斜め下45度の水面を見続けてください」と伝えました。最初は「そんなに低い位置で水が入らないか怖い」とおっしゃっていましたが、実際にやってみると、頭の位置が低く保たれるため、下半身が沈まなくなりました。
結果として、Bさんは以前よりも少ない力でスムーズに前に進むようになりました。「今までいかに無駄なエネルギーを使って頭を持ち上げていたかが分かりました。低い位置の方が、むしろ波が立たなくて吸いやすいんですね」と、Bさんは嬉しそうに語ってくれました。視線をコントロールするだけで、ボディポジションは劇的に改善されるのです。
あごを引いて腰を浮かせるための具体的な手順
息継ぎで沈まないためには、「頭を上げる」のではなく「口だけを水面に出す」という意識改革が必要です。以下のチェックリストを使って、自分の息継ぎを確認してみましょう。
- 視線は常に斜め下:息継ぎの瞬間も、視線は水面から1〜2メートル先を見る程度にとどめます。正面の壁や天井を見てはいけません。
- あごを引く(タックイン):息を吸うとき、あごを軽く引いた状態をキープします。テニスボールをあごと首の間に挟んでいるイメージです。
- 頭頂部で水を切り裂く:息継ぎから水中に戻るとき、おでこからではなく、頭のてっぺんから水に突っ込むように戻ります。
意外と知られていませんが、トップスイマーの映像をスローモーションで見ると、彼らは息継ぎの際、水面ギリギリに口があるだけで、頭の半分以上は水没していることがわかります。彼らは「頭を上げている」のではなく、ストロークによる揚力を利用して「波の谷間」を作り、そこに口を滑り込ませているのです。初心者がいきなりこれを真似するのは難しいですが、「必要最小限の高さで吸う」という意識を持つだけで、沈むリスクは大幅に軽減されます。
3. 【原因②:キック】足を引きすぎるとブレーキがかかる!抵抗を減らす足の引き方
「平泳ぎはキックで進む」とよく言われますが、同時に「キックの準備動作が最大のブレーキになる」という事実はあまり語られません。進もうと思って力強く蹴ることばかりに意識が向き、その直前の「足を引く動作」で自らブレーキをかけてしまっているケースが後を絶ちません。足を引きすぎることによる抵抗の増大は、失速を招き、結果として「沈む」原因となります。
膝をお腹の下まで引く「致命的なブレーキ」
平泳ぎのキックは「引いて、蹴る」の繰り返しですが、この「引く」動作で多くの人がミスを犯します。膝をお腹の下まで抱え込むように大きく引いてしまうのです。膝が腹部の下に来ると、太ももの前面が進行方向に対して垂直になり、巨大な壁となって水の抵抗を受けます。これは車で言えば、アクセルを踏む前に急ブレーキをかけているようなものです。
速度が落ちれば、揚力が失われて体は沈みます。さらに、膝を深く引くとお尻が浮きすぎてしまい、その反動で蹴った後に足が深く沈み込むという悪循環も生まれます。理想的な足の引き方は、膝の位置をあまり変えずに、膝下だけを動かすようなイメージです。
ここで、抵抗になるキックと推進力を生むキックの違いをリスト化して整理します。
- NGな足の引き方(ブレーキ大・沈む)
- 膝がお腹の下まで来る(体育座りのような状態)。
- 股関節を大きく曲げすぎている。
- 足の裏が後ろではなく、上(天井)を向いている。
- OKな足の引き方(抵抗小・進む)
- 膝の位置は骨盤より少し前程度で固定。
- 「かかと」を「お尻」に近づけるイメージで引く。
- 太ももの前面で水を受けないようにする。
【ケーススタディ】「カエル足」を意識しすぎて失敗したCさんの修正劇
Cさんは、「平泳ぎはカエルのように足を動かせ」という昔ながらの教えを忠実に守っていました。その結果、膝を横に大きく広げ、お腹の下までグイッと引きつけてから、大きく回すようなキックをしていました。しかし、これでは水を押す力よりも抵抗の方が大きく、蹴るたびに体が止まって沈んでしまっていました。
私はCさんに、「カエルというイメージを一度捨てましょう。代わりに、細い土管の中を泳ぐイメージを持ってください」と指導しました。膝を大きく広げたり、深く曲げたりすると土管の壁にぶつかってしまいます。「膝は肩幅くらい。かかとをお尻にタッチするだけでいいです」と伝え、足の引き幅を半分くらいに制限してもらいました。
最初は「これだけで進むのか?」と不安そうでしたが、実際に泳いでみると、抵抗が減った分だけスルスルと前に進むようになりました。「今までは自分でブレーキをかけながらアクセルを踏んでいたんですね」とCさんは苦笑い。コンパクトに引いて鋭く蹴るスタイルに変えたことで、Cさんの平泳ぎは「止まって沈む泳ぎ」から「流れに乗る泳ぎ」へと進化しました。
蹴った後に「待つ」時間が浮力を生む
キックに関してもう一つ重要なのが、蹴った直後の「グライド(伸び)」の時間です。平泳ぎのリズムは「1(かく)、2(引く)、3(蹴る)」だと思われがちですが、実際の上級者のリズムは「1(かく)、2(蹴る)、3(伸びる~~~)」です。
足を蹴り終えてピンと揃えた瞬間が、最も水の抵抗が少なく、スピードが出ている状態です。この時に焦って次の動作(手をかく、足を引く)に移ってしまうと、せっかくの推進力を殺してしまいます。蹴った後は、足の裏で水を挟み込み、足先まで神経を行き届かせて、体が水面に浮き上がってくるのを「待つ」勇気を持ってください。この「待ち時間」こそが、体が沈まずに高い位置をキープするための魔法の時間なのです。
専門的な視点から補足すると、このグライド中に体は流体力学的な「揚力」を得て浮上します。蹴り終わりの足が下がっていると抵抗になりますが、足先を揃えて少し水面近くまで持ち上げる意識を持つと、腰が高い位置で安定します。「蹴る」ことと同じくらい、「蹴った後に揃えて待つ」ことを重要視してください。
4. 【原因③:ストローク】水をかき込みすぎて体が立っていませんか?
足の動き(キック)と並んで、平泳ぎの浮沈を左右するのが手の動き(ストローク)です。「前に進みたい」という気持ちが強ければ強いほど、多くの人は水を力いっぱい後ろまでかこうとします。しかし、平泳ぎにおいて、手を体の後ろ(太もものあたり)までかき込む動作は、クロールや背泳ぎとは異なり、明確な「NG動作」となります。
手を後ろまでかきすぎると体が垂直になり沈む
なぜ手を後ろまでかいてはいけないのでしょうか?その理由は、「リカバリー(手を前に戻す動作)」にあります。平泳ぎは水中から手を戻す必要がある唯一の泳法です。手を太ももまでかいてしまうと、そこから体の前方へ手を戻す際に、水の抵抗を真正面から受けることになります。
さらに深刻なのは重心移動の問題です。手を後ろまでかき込むと、一時的に上半身が起き上がります。この時、頭が高い位置に上がりすぎると、前述したシーソーの原理で下半身は深く沈みます。そして、その沈んだ状態から、水の抵抗に逆らって手を前に突き出すことになるため、体は完全に失速し、垂直に近い「立ち姿勢」で水没してしまうのです。平泳ぎのストロークは、「進むため」というよりも「息継ぎのタイミングを作り、重心を前に移動させるため」のものだと再定義する必要があります。
理想的なストロークと、沈む原因となるストロークの違いを表で確認しましょう。
| 比較項目 | 沈むストローク(かきすぎ) | 浮くストローク(コンパクト) |
|---|---|---|
| かく範囲 | お腹や太ももまでかく | 肩のライン、視界の中で終わる |
| ひじの位置 | 体の脇にピタッとつく | 高い位置をキープ(ハイエルボー) |
| リカバリー | 水圧を押しのけて前に戻す | 水面近くを抵抗なくスッと戻す |
| 体の角度 | 垂直に立ち上がる(45度以上) | フラットに近い前傾姿勢(15度程度) |
【ケーススタディ】クロールの癖が抜けなかったDさんの「ハート型」革命
Dさんはクロールが得意な方でしたが、平泳ぎになると急に進まなくなり、すぐに疲れてしまうと悩んでいました。観察してみると、Dさんはクロールの癖で、水をグイッと太ももまで押し切っていました。その勢いで体が一瞬飛び上がるのですが、その直後にズドンと沈み、水中で手を前に戻すのに苦労していたのです。
私はDさんに、「平泳ぎの手は、自分の目の前で小さなハートを描くだけでいいですよ」と伝えました。「えっ、そんなに小さくて進むんですか?」とDさんは半信半疑でしたが、実際にプールに入って動きを修正しました。
- 両手を前に伸ばした状態から、少し外側に広げる(ハートの上部)。
- 肘を立てたまま、胸の前で両手を合わせる(ハートの下部)。
- 脇をキュッと締めて、すぐに前に突き出す。
この「コンパクトなハート型ストローク」を実践した瞬間、Dさんの泳ぎは激変しました。今まで体を持ち上げることに使っていたエネルギーが、スムーズな前方への重心移動に変わったのです。「今までは自分で自分を沈めていたんですね。手を小さく回すだけで、こんなに体が浮くなんて」と、Dさんは目から鱗が落ちた様子でした。手が常に体の前にあることで、重心が前方に保たれ、足が沈まなくなったのです。
脇を締める動作が「浮き上がり」を助けるアクションプラン
ストロークで沈まないための具体的なアクションプランは、「脇締め(スクイーズ)」を意識することです。
- ステップ1:キャッチ
手先だけで水をかくのではなく、前腕全体で水を捉えます。 - ステップ2:インスイープ(内側への動作)
水を抱え込むようにして、両手を胸の前で合わせます。この時、重要なのは「力」ではなく「速さ」です。 - ステップ3:シュート(前方への突き出し)
ここが最重要です。両手が合わさった瞬間、両脇を強く締めて、その勢いで手を前方へ発射(シュート)します。
専門的な観点から補足すると、この「脇を締めて手を前に突き出す」動作は、流体力学的に「加速による揚力の発生」を促します。手が加速しながら前に伸びることで、体の周りの水流が整い、ベルヌーイの定理によって背中側に揚力が働きやすくなるのです。手をかき終わった後、いかに素早く、抵抗の少ない姿勢(ストリームライン)に戻れるか。これが「沈まない平泳ぎ」の極意です。
5. 【原因④:呼吸】肺は天然の浮き袋!「残気量」をコントロールする
水泳において呼吸は単なる酸素摂取ではありません。特に平泳ぎにおいては、呼吸は「浮力のコントロール」そのものです。私たちの肺は、空気が入っている状態では非常に優秀な「浮き袋」として機能します。しかし、多くの人が苦しくなることを恐れて、この貴重な浮き袋の中身をすべて捨ててしまっているのです。
息を全部吐ききっていませんか?浮袋を捨ててはいけない
「水の中では鼻から息を吐きましょう」と教わったことがあると思います。これは正しいのですが、「いつ」「どれくらい」吐くかが問題です。水中で「ブクブクブク」と息を吐き続け、肺の中の空気を空っぽにしてしまうと、浮力が失われて体は沈みます。人間の体比重は水とほぼ同じですが、息を吐ききった状態では比重が水より重くなり、石のように沈んでいくのです。
さらに、息を全部吐ききってしまうと、次の息継ぎの際に「大量に吸い込まなければならない」という焦りが生じます。これにより、大きく口を開けて長く水面に出ようとし、結果として頭を上げすぎて沈むという悪循環に陥ります。
【ケーススタディ】「苦しいから吐く」Eさんが陥った負のスパイラル
Eさんは「25m泳ぐだけで息が上がってしまい、後半はお尻が沈んで進まなくなる」というのが悩みでした。詳しく話を聞くと、「苦しくなるのが怖いので、水中で思い切り息を全部吐いています」とのこと。Eさんの泳ぎを見ると、ストロークの前半から激しい泡を出して息を吐ききっており、浮力がなくなった体が後半に急激に沈んでいました。
私はEさんに、呼吸のリズムを根本から変える提案をしました。「水中で息を吐くのは、顔を上げる直前の『一瞬』だけにしてください」と。
具体的には、以下のようなアドバイスです。
- 伸びている時間(グライド中)は、息を止めるか、ほんの少し漏らす程度にする。
- かき込み動作に入り、顔が水面に出る直前に「パッ」と短く吐く。
- 口が水面に出たら「パッ」と素早く吸う。
これを実践したEさんは、最初は「息を止める時間が長いと苦しくないか」と心配していましたが、やってみると逆でした。肺に空気が残っている時間が長いため、体が水面高く維持され、無駄な力を使わずに済んだのです。「浮き袋があるから体が軽い。だから結果的に息も上がらないんですね」と、Eさんは呼吸と浮力の密接な関係を体感しました。
リラックスと脱力が浮力を最大化する生理学的理由
正しい呼吸法を身につけるためのアクションプランとして、以下のリズムを練習してみてください。
- グライド中(伸び):肺には空気が8割ほど入っている状態。浮力最大。リラックスして伸びる。
- プル(かき込み)開始:まだ空気はキープ。
- 顔上げ直前:鼻から強めに息を吐き出す(肺の中を5割くらいにするイメージ)。
- 吸気(インハイル):口から瞬時に吸って、また8割に戻す。
意外と知られていませんが、筋肉の緊張も浮力に影響します。呼吸が乱れて体が強張ると、筋肉が収縮して体が硬くなり、水に浮きにくくなります(比重自体は変わりませんが、表面積や姿勢の変化で沈みやすくなります)。「肺に空気を溜めておく」という意識は、精神的な余裕を生み、体の余計な力を抜く効果もあります。肺という天然のライフジャケットを最大限に活用し、常に胸に空気が入っている感覚を大切にしてください。
6. 今日からできる!沈まない平泳ぎを習得するための段階別ドリル
ここまで、平泳ぎで沈む「理論」と「原因」を解説してきました。しかし、頭でわかっていても、実際に体が動かなければ意味がありません。特に平泳ぎは手と足のタイミングが複雑なため、いきなり全ての動作(コンビネーション)を行おうとすると、パニックになって元の悪い癖が出てしまいます。
そこで、動作を分解し、一つずつ確実に習得していくための「段階別ドリル」を紹介します。焦らず、レベル1から順番にクリアしていくことが、遠回りのようでいて最短の近道です。
【レベル1】だるま浮き&けのび(ストリームライン)の再確認
すべての泳ぎの基礎であり、最も重要なのが「浮く姿勢」です。これができなければ、どんな高度なテクニックも意味をなしません。
- だるま浮き:プールで膝を抱えて丸くなり、背中を水面に出して浮きます。体の力を抜く感覚を養います。
- けのび:壁を蹴って一直線に伸びます。この時、H2-1で解説した「胸で水に乗る(重心移動)」を徹底的に意識してください。足が沈まずに5メートル以上進めれば合格です。
【レベル2】キックなしのプルブイ練習で上半身の重心移動を掴む
足が沈む不安を取り除くために、文明の利器「プルブイ(足に挟む浮き具)」を使います。
- 練習法:太ももの間にプルブイを挟み、足は動かさずに手だけで平泳ぎをします。
- 目的:下半身の浮力が保証された状態で、H2-2(視線)、H2-4(コンパクトなストロークと脇締め)に集中するためです。
- ポイント:手を前に戻した時、グッと胸を張り、体重を前に預ける感覚を掴んでください。
【レベル3】1ストローク・2キック法で「伸び」を体感する
平泳ぎのリズムが忙しなくなり、沈んでしまう人のための矯正ドリルです。
- 練習法:通常通り1回手をかいて1回キックした後、手は前に伸ばしたまま、もう一度キックだけを行います。
- 動作:手&足(1回目)→ 伸びる → 足だけ(2回目)→ 伸びる → 手&足…
- 目的:強制的に「グライド(伸びる時間)」を作るためです。
- ポイント:2回目のキックの時、体が水面を滑るように進む感覚を味わってください。「あ、この時間が一番進むんだ」と体が理解すれば成功です。
【レベル4】壁キックで正しい足の引きつけを覚える
H2-3で解説した「足の引きすぎ」を物理的に防ぐドリルです。
- 練習法:プールサイドの壁に向かって、お腹をつけてうつ伏せになります(またはビート板の上に上半身を乗せて壁に密着)。その状態で平泳ぎのキックをします。
- 目的:膝を大きく引きすぎると、膝が壁にぶつかります。壁にぶつからないようにキックを打つことで、コンパクトな足の引き方を強制的に習得できます。
- ポイント:壁に膝をぶつけず、かかとだけをお尻に近づけて蹴る感覚を反復します。
【ケーススタディ】「ドリルなんて面倒」と言っていたFさんの3週間
Fさんは「とにかく泳ぐ距離を稼ぎたい」というタイプで、地味なドリル練習を嫌がっていました。しかし、どんなに泳いでもタイムが上がらず、疲れだけが溜まる日々に限界を感じていました。私は「3週間だけ、練習時間の半分をドリルに使ってください」と説得し、上記のメニューを提案しました。
最初の1週間、Fさんはプルブイを使った練習で「正しい重心の位置」を理解しました。2週間目、1ストローク2キックで「伸びる感覚」に目覚めました。そして3週間後、久しぶりに普通の平泳ぎ(コンビネーション)で泳いだFさんは驚愕しました。「いつもの半分の回数しか手を回していないのに、壁に着いてしまった」と言うのです。
Fさんのストローク数(25mを泳ぐのに要する回数)は、以前の25回から14回に激減していました。それだけ「ひととかき、ひとけり」で進む距離が伸び、沈まなくなった証拠です。Fさんは「急がば回れとはこのことですね。基礎ドリルこそが最強の練習でした」と語ってくれました。
7. よくある間違い(NG例)と改善ビフォーアフター
最後に、沈む平泳ぎをしている人が無意識にやってしまっている「よくあるNGパターン」をまとめます。これらは指導現場で本当によく見かける光景です。自分が当てはまっていないか、セルフチェックしてみましょう。
NG例1:手足が同時に動いてしまっている(タイミングのズレ)
初心者に最も多いのが、手と足が同時に曲がり、同時に伸びる「カエルのおもちゃ」のような動きです。
- なぜダメか:手と足の抵抗が同時に発生し(ブレーキ)、同時に推進力が生まれるため、進むときと止まるときが極端になります。伸びる時間がゼロになり、常に沈みっぱなしになります。
- 改善の合言葉:「手が先、足が後」です。手が前に伸びきってから、足のキックが始まります。タイミングをずらすことで、常にどちらかの推進力が働き、高いボディポジションを維持できます。
NG例2:腰が反りすぎて下半身が落ちている
息継ぎで頭を上げようとするあまり、背中を反らせてエビのような姿勢になるパターンです。
- なぜダメか:腰が反ると、腹圧が抜けて下半身が重くなり、沈みます。また、腰痛の原因にもなります。
- 改善策:お腹を凹ませる(ドローイン)意識を持ちましょう。水中で少し猫背になるくらいの感覚でちょうど良い場合が多いです。目線はおへそを見るつもりで、背中をフラットに保ちます。
NG例3:水面を叩くようなキックになっている
キックの際、足が水面から出てしまい「バシャッ!」と音を立てて空気を蹴っているパターンです。
- なぜダメか:空気を蹴っても推進力(スカリング効果)は生まれません。また、足が水面に出るということは、膝が沈んでいる証拠でもあります。
- 改善策:キックは必ず「水中」で行います。かかとがお尻に近づくときも、蹴り出しも、すべて水面下で行うように意識します。「音を立てない静かなキック」こそが、最も水を捉えている証拠です。
専門的な観点から補足すると、これらのNG動作はすべて「抵抗の最大化」と「揚力の喪失」につながっています。水泳の上達プロセスは「何をするか(足し算)」よりも「何をしないか(引き算)」が重要です。抵抗になる動きを一つずつ削除していくことで、残った動きが洗練され、結果として「沈まない美しいフォーム」が完成するのです。
8. まとめ:平泳ぎは「伸び」ている時間が一番速い
ここまで、平泳ぎで「沈む」メカニズムと、それを克服するための具体的な技術を長文にわたって解説してきました。8000文字近い情報をインプットして、少し頭が疲れてしまったかもしれません。しかし、これだけ多くのことをお伝えした理由はただ一つ。あなたが「才能がないから沈む」のではなく、「物理的な理屈を知らなかったから沈んでいた」ということを証明したかったからです。
最後に、本記事の最重要ポイントを振り返りましょう。平泳ぎにおいて「速い」瞬間とは、必死に手足を動かしている時ではありません。キックを打ち終え、手足を揃えて「スーッ」と水の中を滑っている、あの静寂の瞬間こそが、最も速く、そして体が浮いている瞬間なのです。
「沈まない平泳ぎ」完全攻略チェックリスト
明日からの練習で迷ったときは、このチェックリストに戻ってきてください。全てを一度に意識する必要はありません。一つずつクリアしていけば、必ず体は浮いてきます。
🚀 練習前の意識改革
- □ 「水と戦わない」と心に決める。水を押さえつけるのではなく、水に乗る。
- □ シーソーの原理を思い出し、体重を「胸」に乗せる意識を持つ。
👀 息継ぎのポイント
- □ 目線は常に斜め下(プール底の斜め前)。天井や正面の壁は見ない。
- □ あごを引き、首の後ろを伸ばしたまま呼吸する。
- □ 「頭を上げる」のではなく「口だけ水面に出す」。
🦵 キックのポイント
- □ 膝をお腹の下まで引かない(ブレーキをかけない)。
- □ かかとをお尻に近づけるようにコンパクトに引く。
- □ 蹴った後は必ず「足を揃えて待つ」時間を作る。
🏊 ストロークと呼吸のポイント
- □ 手は太ももまでかかない。目の前でハートを描く。
- □ 脇を締めて手を前に突き出し、重心を前に移動させる。
- □ 肺の空気を吐ききらない。「浮き袋」を残しておく。
「頑張らない」ことが上達への最短ルート
私が指導現場で見てきた中で、平泳ぎが劇的に上達する人には共通点があります。それは、「力を抜くのが上手になった人」です。真面目な人ほど、「もっと頑張らなきゃ」「もっと強くかかなきゃ」と力んでしまい、その筋肉の緊張が体を沈ませてしまいます。
もし、あなたが練習中に「苦しい」「沈む」と感じたら、それは「頑張りすぎているサイン」です。一度立ち止まり、深呼吸をして、勇気を持って力を抜いてみてください。そして、蹴った後の「伸び」の時間、何もしていない数秒間を、誰よりも楽しんでください。その数秒間こそが、平泳ぎの醍醐味であり、あなたが求めていた「優雅に泳ぐ」正体なのです。
あなたはもう、沈む原因を知っています。そして、浮くための方法も知っています。あとは、プールに行って、水に身を委ねるだけです。最初はうまくいかなくても焦る必要はありません。今日の練習で「昨日より1センチ浮いた気がする」、それだけで大きな進歩です。
さあ、新しい泳ぎの感覚を試しに行きましょう。水の中の世界は、あなたが思っている以上に自由で、心地よい場所なのですから。

